NARIAGARI TRIANGLE Vol.1」発表10周年を迎えて

 

 

 1995728日に「NARIAGARI TRIANGLE Vol.1」を発表しました。NARIAGARI TRIANGLEを構成したのは、松永昌明さん、高場昌史さん、そして伊能四郎の3人でした。728日は大滝詠一さんの誕生日。大滝さん自身は自分の誕生日にアルバムを発表したことがありません。どうしても予定通りに行かなかったそうです。我々がとうとうその偉業を成し遂げたわけですね。

 

 伊能と松永さんは某X社の、高場さんは某Y社のシステムエンジニアで、10年前、3人は同じ職場にいました。某クレジットカード会社の次期システムを開発するために集結していたのです。ある飲み会(歓迎会でしたか)の席で、高場さんが音楽好きだと自己紹介しました。その後伊能が高場さんと話すようになり、高場さんがビートルズのコピーバンドであるギャートルズに参加しているという話を聞き付け、じゃあ一緒に何か作ろうということになりました。そこで「NARIAGARI TRIANGLE」というコンセプトを思い付き、松永さんを引き込み、アルバムを作ることになったのです(この辺は高場さんの発想が大いに役立っています)。それから3人がバラバラにマルチトラックを完成させ、伊能四郎が住む能ヶ谷スタジオに3人が集まってミックスダウンをし、ジャケットと歌詞カードを伊能が切り貼りして作り、発表にこぎつけました。

 

あれから10年が経ちました。時が流れるのは速いものです。この10年で3人とも生活環境が変わり、何となく疎遠になり、今では伊能は他の2人の現状を知りません。「10年ひと昔」とはよく言ったものです。

 

 さて、今日は「『NARIAGARI TRIANGLE Vol.1』発表10周年を迎えて」と題し、1995年の伊能のスケジュールを振り返ってみます。当時は手帳に日記のようなものを書いていました。日記と言っても、心情を吐露したものではなく、「伊能四郎通信」を作ったとか振替勤務だったとか、伊能の行動を記載しただけです。四家さんから夜中の2時にFAXがあった、という謎のメモもあります(笑)。先日押入れの奥から1995年の手帳を引っ張り出してきました。こうして後から読み返すと、10年前の伊能のアホな言動が蘇り、鬱になります(笑)。

 

 1995年は、伊能にとってイヴェント盛りだくさんの年でした。実に色々なことがあったのです。パソコン通信を始めたり、「伊能四郎通信」を月刊化したり(ただし95年のみ)、むさしのFMというコミュニティFMで生放送DJを体験したり。そしてナリアガリレーベルを再始動させて「NARIAGARI TRIANGLE Vol.1」を発表したことも、実に大きなイヴェントでした。しかも仕事が忙しい中での各イヴェントでした。まさに多忙四郎でした。却って忙しいからこそ有意義に過ごせたのかもしれませんけどね。ある意味伊能の黄金のタレ時代と言っても過言ではないでしょう。

 

さて、その手帳から、19951月〜7月までのイヴェントを抜粋して時系列に並べてみました。かなり長いです。

 

月日

曜日

イヴェント

1/7

徳山さんと中里で焼肉を食べる。徳山氏に「伊能の役目は大滝氏みたく洋邦の音楽文化を知ること」と助言される。

※(以下、※印は今の伊能のコメント)すっかり忘れていたし、全然実現できてないっつーの。

1/8

明智氏が「有言実行で行く」発言。

これもすっかり忘れていた(笑)。

高田馬場の誌村氏宅でBEAT FACTORY関連の対談。

「ちびまる子ちゃん」放送開始。オープニングは「うれしい予感」。

1/12

作詞集「金銀銅次の世界4」ほぼ完成。

1/14

「ミュージ郎」購入

そんなの買ったっけ…?

パソコン通信ニフティサーブにオンラインサインアップ。

ニフティのIDPXW10000だった(!)。

1/16

パソコン通信PC-VANにオンラインサインアップ。

1/17

阪神淡路大震災。

出社して同僚に「岡山は大丈夫?」と言われた。初めは何のことか分からなかった。昼休みにテレビを見て愕然とした。

1/21

「月刊伊能四郎通信1月号」制作。

KSKさんに初めてメールを送る。

1/26

船木さんが関わるミニFM局で「月刊伊能四郎通信」の放送が決定。

2/1

ニフティの大滝詠一研究会に初めて書き込む。

2/9

「僕の中の微笑み(ポップス・ヴァージョン)」の再歌入れ。初歌入れの日は不明。

2/11

「月刊伊能四郎通信2月号」の「ELLIS特集」のため宥雄さんと対談。

2/13

杉江さんに、「NARIAGARI TRIANGLE Vol.1」用の作曲を手紙で依頼した。

2/26

「月刊伊能四郎通信2月号」制作。

パソコン通信PEOPLEにオンラインサインアップ。

2/28

宥雄さんがニューアルバム「SCENE」発表。

3/1

明智さんが「大晦日」を発表。傑作。

3/4

船木さんが関わるミニFM局で「月刊伊能四郎通信」の放送が始まる。

3/5

池袋でニフティ大滝詠一研究会の会合があったらしいが、伊能は欠席。

3/12

「特別伊能四郎通信-宥雄虔が『SCENE』を語る-」のため、宥雄さんと対談。

3/15

南佳孝ライヴを観にかつしかシンフォニーヒルズへ行く。

3/17

明智さん用ビデオ制作。渡辺満里奈「大好きなシャツ」のPV等を収録。

杉江さんから「NARIAGARI TRIANGLE Vol.1」用のカラオケDATテープが届く。

3/18

「月刊伊能四郎通信3月号」制作。

3/19

明智さんの引っ越しを祝い、独りア・カペラ「サザエさん一家(白い港Version)」「引っ越しでギックリ」を制作。

3/20

地下鉄サリン事件。

この日、伊能は朝礼当番だった。妙に社員が少ないなあと感じていたら、この大事件だった。

3/24

ナイアガラのCD選書が再発。銀座山野楽器で全部購入し、特典ゲット。

3/30

「月刊伊能四郎通信2月号」をELLIS本人に郵送する。

後に「面白かったよ」というメールをもらった。

飲み会+カラオケ。小貝さんが「POISON」を歌う。

4/1

日本武道館でBootleg BEATLESのコンサート。

高場さん、栗原さん(クーリーさんではない)と観劇。高場さん感激。

4/5

「残業で焼肉」「優しい午後」歌入れ。

4/6

「優しい午後」歌入れ。

4/8

「月刊伊能四郎通信4月号」の「THE BEATLES特集」のため高場さんと対談。

4/13

杉江さんの「SOBA SONG」に勝手にコーラスを入れる。

4/15

明智さんから電話。「100 Guitar Manual」の曲に詞を付ける。

詳細不明。

4/16

情報処理試験。

この頃は申し込んでも受験していない。

4/17

POISON」の替え歌の「NOBITA」を歌う。

小貝さんの「POISON」をシングルカットするため、オマケとして伊能が歌ったもの。♪唇が妙にでかくなる いつも横を向いているよスーパーのび太 イエ〜!という歌詞(笑)。

4/22

KSKさんのライヴを宥雄さんと見に行く(100 Guitar Manual?)。

4/26

MacintoshDTMセット「AUDIO GALLERY」購入。

伊能はまるっきり使いこなせなかった。無駄遣い。

5/7

岡山に帰省した金銀が、栗原さんの無題曲に「The Lonely Lover」という詞を付ける。

この題名は別に「論理的なゴム」「ロジカルなゴム」と呼ばれる。

5/8

岡山に帰省した金銀が、柳田さんのインスト「狭いお山をブッ飛ばセ」に詞を付ける。

後に伊能が仮歌を入れている。

5/11

明智さん用「異常でもテヱプ」制作。

5/13

吉田美奈子ライヴを観に明智さんと中野サンプラザへ行く。

5/17

「残業で焼肉」歌入れ。

「月刊伊能四郎通信5月号」A面制作。

「金銀銅次の世界4」発行。

5/18

「残業で焼肉」歌入れ。

5/19

「残業で焼肉」歌入れ。

5/22

小坂明子の「あなた」の替え歌「真っ赤なバラと白チンパンジー、子犬の横には子犬〜♪」

思い付いたので書き留めたらしい(笑)。

5/23

「月刊伊能四郎通信5月号」B面制作。

5/24

ヤマハのMT8Xを購入。

やはりマルチトラックレコーダ(MTR)がないととてもコーラスは歌えないと判断。最終的にはNARIAGARI TRIANGLE3人が同じMT8Xを購入した。

5/31

「カメリア・ダイアモンド」「サヨナラ負け」の歌入れ。

この2曲のみMTRを使用した。

6/3

NARIAGARI TRIANGLE3人が能ヶ谷スタジオに集結し、「僕の中の微笑み」にコーラスを付け、「この木なんの木」を歌う。

高場さんと松永さんがミックスダウンを行なう。

高場さんはミックスダウン後の2chマスターを持ち込んだかもしれない。

近所の公園でジャケット用写真を撮影する。

NARIAGARI TRIANGLE Vol.1」のジャケット及び歌詞カードに掲載されていない写真もある。

6/5

「カメリア・ダイアモンド」コーラス録り直し。

6/9

濱田理恵ライヴを高場さんと観に行く(場所不明)。

6/11

歌い直し(どの歌か不明)。

6/12

NARIAGARI TRIANGLE Vol.1」マスターテープ完成。

6/14

と思ったら「サヨナラ負け」を歌い直し。

6/15

「サヨナラ負け」をまた歌い直し。

6/17

NARIAGARI TRIANGLE Vol.1」完パケ。

6/19

NARIAGARI TRIANGLE Vol.1」の演奏時間をチェック

歌詞カードに掲載するため。

6/23

「月刊伊能四郎通信6月号」制作。

6/24

むさしのFMの打ち合わせのため吉祥寺へ。

7/1

むさしのFM新番組「BEAT FACTORY RADIO」スタート。いきなりDJ船木さんが用事のため、代役DJを務める。

7/4

「月刊伊能四郎通信8月号」の「夏のオールディーズ特集」のため明智さんと対談。

7/6

服部克久音楽畑コンサートを観に、宥雄さんと品川きゅりあんに行く。

7/8

「月刊伊能四郎通信7月号」制作。

7/20

NARIAGARI TRIANGLE Vol.1」の松永さんパートを松永さんがリミックス。

松永さんパートは松永さんがMTR操作を間違えてVocalが低かった。そこで再度能ヶ谷スタジオで松永さんがリミックスした。本当に完パケ。

7/25

NARIAGARI TRIANGLE Vol.1」のジャケット完成(多分歌詞カードも完成)。

7/27

NARIAGARI TRIANGLE Vol.1」をカセットテープへコピー開始。

7/28

NARIAGARI TRIANGLE Vol.1」発表

 

 どうですか?本当に長かったですね。しかし恐らく日記に書いていないこともありますし、間違いもあると思いますが、何か楽しそう?

 

当時伊能は28歳でした。実はこの3年前ほどに意中の女性に振られちゃったりしていますよ。そのため仕事や趣味に没頭していたような気もするようなしないような。とにかくその結果の1つが「NARIAGARI TRIANGLE Vol.1」の制作だったかもしれません。

 

実は、my奥様と知り合ったきっかけの1つが「NARIAGARI TRIANGLE Vol.1」だったりします。「NARIAGARI TRIANGLE Vol.1」の話をニフティでしたら、「聞かせてくれないか。ウホッ」というメールが来たんです。そこからですよ。いやホント、人生、何が起こるか分からないからこそ楽しいですし、何かを起こすために、やりたいことをやりたいだけやりたいときにやっとけ、意外と色んなところでつながるよ、ですかね。

 

 さて、「NARIAGARI TRIANGLE Vol.1」発表10周年記念として、当初はナリアガリレーベル初のCD化を考えていました。しかも2枚組。しかし、多くのミュージシャンがCDという記録媒体の限界を唱えるようになったことや、iPODを初めとするポータブルプレーヤが爆発的に普及したことから、CDとして発表するよりも、いつでも聞けるMP3等にした方が良いのではないか?と考えるようになりました。昨年MP3で発表した「そんなことより聞いてくれよVol.1」は、その実験でもありました。つまり、MP3にするということはMP3ファイルをどこかに置き、誰でもがダウンロードできるようにしておくということであり、それが伊能にできるのか?という実験だったのです。当時はヤフーのブリーフケースを使用したりしてイマイチでしたが、今では自宅にWWWサーバを置いたり、さくらインターネットのレンタルサーバを借りたりして、いつでもダウンロードできる環境を準備することが可能です。そこで明智さんにも相談し、やはりここはMP3あるいはAAC10周年記念としよう、と決めました。音は悪くなりますが、音楽は文字通り音が楽しめればいいんじゃないでしょうか?

 

 ここで気になるのは「NARIAGARI TRIANGLE Vol.1」発表20周年記念です。96年頃でしたか、NARIAGARI TRIANGLE3人が再び能ヶ谷スタジオに集まって数曲レコーディングをしています(全曲未発表)。しかも、明智さんがレコーディング風景をハンディカムで撮影した動画が残っています。その動画を20周年記念としてストリーミング配信するという企画があります。もちろん画面全体にモザイクをかけます(笑)。

 

 そろそろお時間です。次はニューアルバム「GoGoNariagari」を予定しております。ナリアガリレーベル初の伊能四郎ソロアルバムです。

 

 最後に、久し振りに一句。

 

     ナリアガリ もとをたどればナイアガラ

       Vol.2  出るのかね

 

(伊)能書き 伊能四郎

2005722